世界最古の調味料
そもそも酢は、人類の祖先が果物や穀物を蓄えている間にアルコールができ、さらに自然の酢酸菌が作用して偶然誕生したものと考えられています。古代バビロニアの記録には、すでに干しぶどうやナツメヤシの酒から酢を造ったとあり、まさに人類の歴史とともにあった調味料といえます。しかも古代ギリシャの医学の父ヒポクラテスが、酢の殺菌効果に着目して用いたり、回復期の患者に酢卵を飲ませていたという記録もあり、調味料として用いる以外の酢の有用性も、古くから認められていたことがわかっています。
日本食文化の礎
日本の酢が造られるようになったのは4〜5世紀頃。中国から酒の醸造技術とともに伝えられ、和泉の国(今の大阪府)で造られた「いずみ酢」が日本最古の酢とされています。やがて奈良時代には調味料として用いられるようになりましたが、当時はまだ宮廷や貴族たちの贅沢品でした。 酢と食の関わりは「寿司」の出現によって一気に深まります。寿司の起源は、魚を米飯に漬けて自然発酵させ保存性を高めた「なれずし」ですが、当初は魚だけを食べて米は捨てられていました。それが江戸時代になると、米飯に酢を加えて発酵させずに魚と一緒に食べる「早ずし」が普及し、やがて江戸時代末期に「にぎり寿司」へと派生、当時のファーストフードとして庶民の食となり、酢の醸造も全国各地で活発化していったのです。このように酢は日本の食文化を支える調味料として浸透していきました。戦中・戦後の食料難の時代には、米を原料に酢を造ることが禁じられ、様々な食品添加物を加えてできた「合成酢」が出回った時期もありましたが、今はほとんどなくなりました。しかし、現代の酢が全て同じ製法で造られているかというとそうではなく、製法によって酢の品質も大きく異なるのです。稲作が中心だった日本では米から造る米酢や、麦や玄米から造る黒酢がポピュラーですが、世界にはその土地に合った伝統的な酢があります。フランスのワインビネガーや、ドイツのモルトビネガーはいずれもお酒から造るお酢。イタリアのバルサミコ酢やアメリカのアップルビネガーは果汁から造る果実酢で、それぞれ使い方にも特徴があります。
伝統の製法1 静置発酵法による酢造り
日本では古くは米から造る米酢が主流でしたが、江戸後期に酒かすから造られるかす酢ができると、そのまろやかな甘味がすし飯に合うことが認められ、にぎり寿司のヒットとともに普及、米酢に並ぶ一般的な酢となりました。そんなかす酢を、昔ながらの製法で造り続けている酢店があります。その製法は「静置発酵法」と呼ばれるもので、これこそ古来より日本で行われてきた醸造法。最初の発酵に約1ヶ月、その後の熟成に最低3ヶ月以上の時間をかけて造られます。米から造る場合は白米を米こうじで糖化し、酵母でアルコール発酵させて、そこから酢酸菌の力で酢に変えます。かす酢は酒かすを2年ほど密封して貯蔵し、それを水にとかして粥状にしたものを酢酸発酵させ酢に仕上げます。いずれも時間を惜しんだら、決して造ることはできません。「静置」とは文字通り、仕込みをしてから静かに酢ができあがるのを待つということ。酢酸菌は発酵槽の中で表面からゆっくり発酵し、自然に対流を起こして、少しずつ時間をかけ発酵槽の中身を酢に変えていきます。その間、職人はひたすら良い酢が育ってくれるための環境を整えるだけ。それが酢造りの全てなのです。
伝統の製法2 自分が寒ければ酢も寒い
「お前が寒い時は、酢も寒い」。静置発酵法による酢造りを父から受け継ぎ、半世紀以上守り続けているある酢店の主は、修業を始めた頃、父親から言われた言葉を今も忘れないそうです。仕込みをした後は、ただ発酵を待つ酢造りですが、良い酢ができるために温度と湿度をきめ細かく管理するのは並大抵のことではありません。「温度計や湿度計など便利な計器はいろいろありますが、そんなものを使わなくても毎日酢に話しかけていれば、酢がどうして欲しいかわかるもの」。だから、遠出をしても常に仕込み蔵のことを気にかけ、南側の天窓をひとさし分だけ開ける。北側の窓は閉めたままに…など、家の者に連絡して蔵の中の温度や湿度を指示するのが、すっかり習慣になっているとのこと。
伝統の製法3 試されるのは根気
発酵が終わった酢は、約3ヶ月をかけて熟成させます。この間も我が子の成長を見守るように、根気よく酢の状態を確かめながら納得のいく酢ができあがるのを常に確認していきます。酢の品質を左右する酸度も、計器で計って違いが出なくても、実際に香りをかぎ、味を確かめれば微妙なちがいに気づくもの。全てが長い年月の中で培われ、磨かれた職人の五感が頼りなのです。こうしてでき上った酢は何ともいえずふくいくとした豊かな香りを漂わせ、口に含むとまろやかな酸味が広がります。長い時間をかけ、大切に育ててくれた職人へのお礼のように、そこには伝統の調味料としての誇りさえ感じる、こだわりの「酢」が確かに誕生していました。







